グローバルインターネットを考える
event_team Internet Week JPNICのイベントInternet Week 2017のトリを飾るIP Meeting2017。
今回のIP Meetingの基調講演は、Internet Society(ISOC)による「インターネットの殿堂(Internet Hall of Fame)」入りを果たした当センター理事長の後藤滋樹が行いました。インターネットの、「インターネットたるグローバルな特性」に関係する、さまざまな経験談を八つの観点からお話ししました。
このブログではそのエッセンスを、いくつかのスライドを交えてお伝えします。
「古い話は試験には出るような類いのものではないけれども、短い時間の観測だけではわからないこともあるし、いろいろな局面で同じことを繰り返すこともあるため、知見を共有しておきたい」と、話が始まりました。
壱 1ドルが1ドルではない。
インターネットの黎明期、JPNICの中に「APNICプロジェクト」があったということはご存じだろうか?このようにAPNIC (Asia Pacific Network Information Centre)やAPAN (Asia Pacific Advanced Network)を作った際の大きな苦労の一つは、アジア太平洋地域で会費を集めることであった。これは大変なことであった。なぜなら、貨幣価値が国や地域、状況によって違うためだ。1ドルは1ドルだと、横並びで計算すると貨幣価値が違うので困る国が出てくる。APNICではIPアドレスが基本だから対数を取るとか、APANは国を代表する研究ネットワークだから、その国の国内総生産(GDP)の平方根で集めるなどという工夫が必要であった。
さらには、こういう相談をする際に困ることも。一つは英語がお互いにネィティブではないこと。お互いにネィティブでないので、「コーヒーブレイク」と称した質問タイムが活躍する。そして、高尚過ぎる英語を使うことも時にタブーだ。”アジアで丁度よい英語”でコミュニケーションをとるのが適切だ。
またもう一つは、代表というものは、国を出る前に事案について相談済みなので、現地で話を投げかけても、その場では判断できないということもあり、こういうこともあらかじめ織り込んでおくべきであろう。
弐 100%援助より80%が良い
お金の額で考えれば、80%の援助より100%の援助の方が多い。しかし、100%援助する日本よりも80%しかしない欧州が感謝されたりする。これはなぜなのか?
例えば1億円が必要であった場合、80%しか援助されなければ20%の2000万円は、援助を受ける方も自分らで出さねばならない。この額を捻出するにはあちこちで相談し、てんやわんやになる。こうして大騒ぎをして「お金を工面できる」となった場合は、それは自分が頑張った成果であり、手に入れたものも自分のものになる。しかし100%日本に援助されてしまったら、それは日本のものであり、自分のものではない。
参 友人かライバルか?
多くの国には、教育研究用ネットワークは複数ある。みんなそれぞれ仲良くやっているように見えるが、個別に事情を聞くと、なかなか微妙な関係性があるようだ。そのため、国際会議などの場では複数のバランスが必要で、それぞれに顔を立てなければならない。また同時に、国家間の競争心もあるので、日本だけで役員・委員が過半数にならないように意識する必要がある。
四 とても大切な言論の自由
1995年当時、インターネット関連の団体といえば、Internet Society一つあるという状況で、その傘下にIETF (Internet Engineering Task Force)などがあるという建て付けであった。その国際会議がINET。INET95をシンガポールで開催する予定だったが、基調講演のテーマが「言論の自由」。しかし、シンガポールは民族間対立をあおるような言論はダメだという理由で検閲があり、検閲を許容する国で会議は開けないとなった。苦肉の策として、アジア太平洋地域というには微妙な位置づけであるハワイでの開催を提案し、幸いにして実現することができたが、このアレンジにとても苦労した。言論の自由とはとても大切だと感じた一つのエピソードである。
五 フルタイムと掛け持ち
アメリカでは何事も”専任”でやっている場合が多い。しかし日本では、複数の会議に同じ人が出向いたり、つまりは”掛け持ち”でやっていることもままあったりする。しかし、そういう状況を米国人が見ると「え、日本人は同じチームでなんでもかんでもやるの?」となる。日本では、委員会などを結成し、そこに立派な先生方に入っていただいて進めることも多いが、専任は誰もいないので、決断するのに時間がかかったりする。
六 Best effort の引き際
最近のベストエフォートの意味することは、「ベストは目指すよ、でもやれないかもしれない」というニュアンスがある。しかしその中でも日本人はまじめで、100%を目指して95%位まで頑張る。その上で100%を達成できなさそうな場合は「そろそろ限界かもしれない」などとほのめかしたりして、皆で空気を読み合って進めるところもある。しかしこれは、他国のほとんどの人々にはないメンタリティだ。他国ではそこまで頑張らなかったり、逆に頑張り過ぎて限界のサインが読めずに破綻する場合もある。
七 良い事と悪い事は半々
諸事の良いことと悪いことの中間を普通と考えるので、普通に考えれば良いことと悪いことが半々に起こるという、半ば詭弁のようなことを言ってみるが、つまりは悪いことも一定数は起こるわけである。だから悪いことには常に目を向け、悪いことからいろいろ学ばねばならない。学べるということは、明日があるということだ。こういう悪いことが上手に上に伝わらないような組織は迷走する、ということは、今までの歴史でも明らかにされている。
八 避けられない「重点化」
これまでの日本は、世界における大国として認知されてきた。決してナンバー1ではなかったが、だいたいナンバー2くらいの位置をキープしてきた。しかし、これからはナンバー2でもいられない世界になるだろう。ただ依然として、そのような日本に対しての期待が世界にはある。
日本は希有の国だ。どういう意味かと言えば、ほとんどの産業分野、研究分野に手を出している、という意味である。他の国ではこれはマネできない。他国では研究テーマを絞り、重点化している。
日本もこれからはテーマを重点化しないとやっていけなくなるかもしれない。日本は何かをあきらめることができるのか?この辺りが今後の分かれ道になってくるであろう。