News & Views コラム:「距離」とインターネットについて。インターネットは、遅い
pr_team コラムメールマガジンで配信したインターネットに関するコラムを、このブログでもご紹介しています。2021年9月は、Internet Society日本支部(ISOC-JP)の活動に取り組んでおられるプログラマの梶原龍さんに、「距離」の課題に対して、インターネットに関わる技術者の視点から回答するという形で、「インターネットは遅い」というお考えについてお書きいただきました。皆さんのお考えは、いかがでしょうか。
この文章は、友人が芸術監督として関わっている東京大学教養学部「学藝饗宴」ゼミの、昨年2020年の選考課題に対して、インターネットに関わる技術者としての回答を試みたものです。課題は、以下のようなものになります。よろしければ、皆さんも考えてみてください。
「距離」を意識させられる現在の情勢についての文章が与えられ、それをもとに、(1)書籍を一冊紹介することで応答する、(2)関心を持つ事項をひとつ選び、それと自身のあいだに在る「距離」について表現せよ(表現形態は言語によらなくてもよく、オンラインで提出可能であればよい)。
○ 宇野常寛『遅いインターネット』
誤読を恐れずに大幅に要約するならば、主な主張は、インターネットが「考えるための場」としての機能を果たさなくなったことの原因として、インターネットによってもたらされる「速度」を挙げており、「遅いインターネット」によって、思考の道具としてのインターネットを取り戻そう、という主張です。
この主張については、「また文化人のテクノロジー否定か」と当初は思ったのですが、昨今のパンデミックを受けて生活のより多くの部分がインターネットの上で行われるようになり、違う感想を抱くようになりました。**残念ながら、インターネットは、遅い、と。**
以降、本文では本書で触れられているような、インターネットによるさまざまな弊害については基本的に触れず、このような内容についての反論を試みることをめざすのではなく、いくつかの事実と事例から、実はインターネットは**十分に**速くないのではないか、ということについて考えていこうと思います。
○ 光速は遅い
光は1秒間に、地球をたったの7周半しか回りません。60fpsのゲームであれば、地球の反対側との通信では、往復するだけで8フレームを消費してしまいます。8フレームも遅れたら、音楽ゲームや格闘ゲームなんてできたものではありません。物理的距離の壁を超えるとして紹介されがちなインターネットでも、物理の壁から逃げることはできないのでした。
この問題の解決のため、現代的には多くのサイトはCDN (Content Delivery Network)を利用して、物理的に近いサーバーからコンテンツを提供しています。一方で、リアルタイムの双方向通信で、このような仕組みは使えないことには注意が必要です。
○ インターネットの帯域は人類の活動を収容しきるには圧倒的に不十分
であることが、この度のパンデミックで示されつつあります。固定回線を持っている人でも、ビデオ会議システムが十分にストレスなく利用できているかと言うと、多くの場合その限りではないでしょう。世界で最もインターネット設備に投資をしていてもおかしくない集団であるIETFコミュニティですら、全員がビデオを同時に利用すると会議が成り立たなくなるので、ビデオの利用を限定している、という現状は、現在のインターネットの帯域が「リアルタイムの双方向通信によるバラ色の未来」から、ほど遠いことを十分に表していると言えるでしょう。
○ 安全を確保するための技術はインターネットをさらに遅くする
通信がノイズなく妨害もなく行われる場合と比べて、ノイズが生じる場合では情報送信の効率は低下することは、シャノンの通信路符号化定理から知られている通りです。通信路そのものの性質に加えて、現代では通信の秘密性・完全性と、通信相手の確認のために暗号技術が用いられており、この処理に平文での通信の場合に比べて、一定のコストが生じます。TLS、DNSSEC、RPKIなど各レイヤーで暗号技術を利用するようになった時、そのオーバーヘッドは少なからず無視できないものになるでしょう。
○ インターネットが「遅かった」、「遅い」ことによる問題
ここまで見てきたように、通信技術としてのインターネットは、残念ながら人類が人間らしい活動を行う上では十分に速いとは言えず、そのために我々はテキストベースのコミュニケーションなどの妥協を行って、インターネットを利用してきました。現行形態のインターネット(SNS、ニュースメディア)は、あくまで妥協の結果としての中間解である可能性があります。通信技術としてのインターネットが遅いことによって、高度な訓練が必要なテキストベースのコミュニケーションを皆が強いられていることが、インターネットによるコミュニケーションの歪みとして現れてきているのではないでしょうか?
○ おわりに
インターネットの妥協が生み出してきたものは、必ずしも悪いものばかりではなく、制限による妥協の中で、我々はコミュニケーションにおいて何が大事であるかを選び取り、それを先鋭化させる表現形式を生み出してきたと言えるでしょう。
現在のインターネットにおける制限は、以前よりもだいぶ少なくなってきているものの、制限が存在することは事実で、したがって妥協も必然的に存在しています。大切にしたいことを妥協によって台無しにしてしまわないよう、我々はインターネットの妥協と限界に自覚的になるべきであると考えます。
もちろん、インターネットに関わる技術者としては、インターネットそのものを速く・安全にすることも、やっていきたいところですね。
■筆者略歴
梶原 龍 (かじわら りょう)
やせいのプログラマ(フリーランスのWebプログラマ)。認証認可や暗号に関わるプロダクト開発を行っている。
W3CのHTTPS in Local Network Community Group/Web of Things Working Group、IETFのOAuth WG他で標準化活動にも参加してい{た/る}。2019年よりInternet Society日本支部のOfficer(Secretary)としてWebサイトリニューアルなどの活動をしている。