News & Views コラム:明朝体の落とし穴にハマった思い出
pr_team コラム今でこそ筆者は、インターネットガバナンスを研究テーマの一つとしているが、元もとは日本語教育学や言語政策という分野を専門としており、勤務先の大学では留学生向けの日本語教育や一般学生向けの日本語学・社会言語学を主として担当している。
筆者が初めて日本語を教えたのは1994年のことだった。大阪市内の某高校に米国やオーストラリアの姉妹校から来ていた交換留学生が相手だった。日本語教育のコースデザインでは学習者が漢字圏、つまり漢字を常用する国・地域の出身か、非漢字圏の出身かが重要なのだが、その意味では彼らは非漢字圏出身だったことになる。
筆者はその時、漢字の練習教材を作成するのに明朝系のフォントを使っていた。ご存知のように明朝体では太い縦画と細い横画の組み合わせによって字が表現される。さらに、横画の右端には「ウロコ」と呼ばれる三角形の出っ張りがある。
そして、筆者の教材を手本にした生徒たちは、このウロコまで丁寧に書き写したのだった。それまで彼らはパソコンで自作された漢字の書き取り教材に接することはなかったのだろう。漢字圏の学習者であれば、手書きの形と印刷書体との違いを知っていたはずだが、非漢字圏の彼らは、明朝体で大写しされたお手本をつぶさに観察し、その筆画を忠実に書き写しただけだったに違いない。
今では、WindowsにしろMacOSにしろ、手書きの形に比較的近い教科書体フォントが標準で付いてくる。当時は日本語用に明朝系とゴシック系のプロポーショナルフォントが付属するだけでも画期的で(筆者は漢字Talk7.1を使っていた)、それ以外の書体は別途購入する必要があった。それを思えば、教材を作るにはありがたい時代になったものである。
もっとも、最近は文章を書くといっても、手書きではなく、コンピュータやスマホを使って書くことのほうが多い。日本語教育関係者の間でも手書きの練習の必要性については意見が分かれている。最近の予測変換の性能を見ていると、漢字が正しく読めなくてもよくなりそうな気配すらある。教科書体が身近になったと言って喜んでいる場合ではないかもしれない。
■筆者略歴
上村 圭介(かみむら けいすけ)
大東文化大学外国語学部日本語学科教授。1994年大阪大学文学部卒業。博士(学術、慶應義塾大学、2011年)。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員等を経て、2017年より現職。言語、政策、情報通信の三つの分野を横断するテーマが研究対象。