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News & Views コラム:誰が「当たり前」を作るのか?

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メールマガジンで配信したインターネットに関するコラムを、このブログでもご紹介しています。2022年8月は、インターネットガバナンス関連の取り組みに積極的に携わっておられ、JPNICの活動にもご協力いただいている日本電気株式会社の上田格さんに、普段は意識しづらいものの、未来の社会形成につながるルール作りについて思うことをお書きいただきました。

 


哲学者のカール・ポパーは、1945年に「寛容のパラドックス」という考えを定義したと言われています。

その学説では、「社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的に不寛容な人達によって寛容性が奪われるか、破壊されてしまう」と定義しています。また、ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容でなければならない」とも言っています。つまり、「なんでもやって良い」とされる社会であったとしても、「暴力で人を傷つける」あるいは「人のものを盗む」というような許容できない行為も「なんでもやって良い」わけではなく、ある一定のレッドラインを超えた行為は、拒絶しなければ社会の秩序は保つことができないということです。

この考えは、現代のインターネット社会に対しても同様に言うことができると私は考えます。インターネットの自由で寛容な空間を維持するためには、サイバー攻撃・サイバー犯罪などの不寛容な行為は拒絶しなければならないと考えます。

一方で、「どんな行為が不寛容であるのか」、あるいは「どの程度の行為が不寛容であるのか」、「容認できない人が現れたときにどのように拒絶・対応すべきか」というような線引きやルール作りもまた重要であると私は考えます。

このルール作りの重要性は、他の国に目を向けてみると理解しやすいように思います。インターネットの分離・分断に関する議論や、政府による言論の統制など、何を社会の秩序と考え、何を不寛容と考えるかは、人や国によって異なるようです。他の国では、その異なる考え方をベースにルール作りがされており、これまで我々が当たり前と思っていた自由で寛容なインターネットが、実は当たり前ではなかったことに気付かされます。

加えて、特にこのようなルール作りは、今後そのルールに従って社会を形作っていく若者の重要性が高いと感じます。しかしながら、20代の筆者と同年代で、この手の話に興味がある人は少ないということも感じています。私自身、サイバー空間でとり得るべき規範の形成に関する活動に取り組んでいますが、共感してくれる人はまだまだ多くありません。

これからの社会にとって、「当たり前な」インターネットとは何か、どのように形作られるべきかという、我々の未来を作っていく重要性に関して、このコラムをご覧になった同年代の方にも共感いただけたら幸いです。

 


■筆者略歴

上田 格 (うえだ いたる)

日本電気株式会社 サイバーセキュリティ戦略統括部所属。2018年に新卒入社。2018年~2020年まで中央官庁向けのシステムエンジニアとして従事。2021年から現所属において国内外のサイバーセキュリティの政策・渉外活動を担当。

 

 

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