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ICANN64神戸会議を振り返って

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インターネット推進部の前村です。19年ぶりの日本開催となった第64回ICANN会議は、2019年3月9日から14日まで、兵庫県神戸市の神戸ポートピアホテル及び神戸国際会議場で行われました。JPNICはローカルホスト委員会(LHC)の一員として準備作業にあたりました。おかげさまで大成功と言えると思います。私は今回、ローカルホストと理事の2つの立場から会議に関与したこともあり、大変印象深い会議となりました。内容に関してはメールマガジンやニュースレターなどでも追ってご紹介する予定ですが、本稿では主に運営の観点から神戸会議を振り返ってみたいと思います。

JPNICはLHCの事務局を務めました。ローカルホストとしての仕事には、ネットワーク接続性の提供、ビザ発給のための招聘状発行、現地情報の提供を始めとする会議参加者を出迎えるためのさまざまな準備や調整などがあります。ネットワーク接続性はネットワークスポンサー、招聘状発行や会場との調整はイベント運営事業者が担当するので、LHC事務局が直接手を動かすことは少ないのですが、ICANNのミーティングチーム、LHC委員を含むあらゆる関係者との間の連絡や調整に関与する立場で、膨大な量の調整が同時進行することになりました。JPNICでは、林 宏信と山崎 信の2名がほぼ本件に掛かりきりとなって進めてくれました。

私の神戸での活動は、会議日程に先立って3月8日(金)から開催される理事会ワークショップから始まりました。ホテルに向かう私を最初に出迎えてくれたのは、ポートライナーの座席に配置されたICANN64の歓迎カードでした。

準備が進むメイン会場スペースに足を運ぶと、会場設営が進んでおり、今までは平面図やPC上の画像でしか見ていなかったものが現実のものとして目の前に現れました。図面上では少し手狭な感じがあったのですが、できあがったものは、まずまずの出来。ホッと一安心です。写真は、LHCのブースの準備状況です。

それから理事会ワークショップの会場に足を運びました。こちらは部屋に入ると同時に見事に「いつも通り」。ミーティングチームの完璧な準備が、自国開催に浮かれ気味な気分を一掃してくれました。3日間終日セッション満杯、真剣勝負の理事会ワークショップから私の神戸会議が始まりました。

日曜までの理事会ワークショップを終えると、月曜日朝。オープニングセレモニーです。グローバルなインターネット基盤に対する期待と日本の責任に触れた佐藤ゆかり総務副大臣、阪神大震災の経験からインターネットの重要性に触れた久元喜蔵神戸市長はどちらも英語でスピーチなさり、それぞれ示唆に富んだものでした。ICANN理事会議長のCherine Chalabyは、状況に応じて臆せず変化、進化していく必要性を、福沢諭吉の学問のすすめから「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」という一節を引いて説いたのですが、LHC委員長としてオープニングセレモニーの最後で挨拶した慶応大学の村井純教授は、慶応義塾の祖である福澤諭吉の志がインターネットにも活かされることに触れて、Chalabyのスピーチを受けました。写真では一万円札の肖像で福澤諭吉を紹介しています。

ICANN会議では、メインホールを中心に、国連公用6ヶ国語に加え、いくつかのセッションではポルトガル語で、同時通訳が行われますが、神戸会議では主要なセッションでは日本語の同時通訳も提供されました。会期中月曜日と木曜日の2回開催されるパブリックフォーラムは、ICANN会議の参加者は誰でも、理事会に対して直接質問や意見を述べることができる、ICANN会議の主要セッションのひとつで、ここでも日本語の同時通訳が提供されました。月曜日のパブリックフォーラムでは、今回開催地在住理事として、私が導入説明を担当することになりましたので、これを日本語で行うことにしました。普段英語を使い慣れている参加者にとっては、通訳越しに聞き取るのは大変だと思うのですが、多様性に彩りを加えたとして前向きに取ってくれる方が多く、嬉しかったです。日本語の長い発言を聞くこと自体あまり経験がなく、印象深く感じた方も多かったようです。フロアからいくつか日本語で発言される方もいてありがたかったですし、私宛の質問のいくつかには日本語で答えてみたりしました。日本開催でしか味わえない新鮮な体験でした。

月曜日の晩は、ホテルオークラ神戸に移動して、ガーライベントです。ガーライベントでは冒頭の挨拶などのフォーマリティを設けないことが多いのですが、今回是非ともと考えて計画したのが、鏡開きです。LHCから村井委員長、JPRS堀田博文取締役、GMOインターネット伊藤正専務のお三人、総務省の吉田眞人国際戦略局長、ICANNから理事会議長Cherine Chalaby、事務総長Göran Marbyの二人が神戸市謹製のはっぴに身を包んで鏡開きを行うと、会場から拍手が巻き起こり、参加者にはなかなかの好評だったようです。

鏡開きしたお酒はガーライベント中にICANN64会議特製の枡で振舞われ、枡はお土産として持って帰っていただきました。会場入口では雅楽が参加者を迎え、会場には野点(のだて)の趣きで毛氈(もうせん)が敷かれた縁台が数箇所配置され、全体的に非常に日本情緒に溢れる演出となりました。そんな中、肌の色も髪の色も服装もさまざまなICANN会議参加者の皆さんが、思い思いに食事とお酒越しに仲間と会話を楽しんでいる様子は、とても華やかで楽しげ。ここまでの準備が報われる気持ちがしました。

ICANN会議では、開催地のコミュニティとの交流も行われます。ICANN GNSO(分野別ドメイン名支持組織)のISPCP(ISP関係者部会)は、JAIPA(日本インターネットプロバイダ協会)との合同イベントを、3月13日(水)午後、メリケンパークにあるレストランで実施しました。JAIPAの会田容弘会長の挨拶に始まり、ISPが直面する諸問題に関して内外から意見が交換されました。私は、ICANN理事のMaarten Botterman、今回UASG(Universal Acceptance Steering Group)のチェアに就任したAjay Data氏とともに、IDN(国際化ドメイン名)、ユニバーサルアクセプタンス(UA)に関するセッションに登壇させていただきました。

開会の挨拶をなさるJAIPA会田会長
IDNセッション登壇中の様子。左からData氏、Botterman氏、前村

IDNセッション登壇中の様子。左からData氏、Botterman氏、前村

内容に関しては、現在計画中のICANN報告会を始めとして今後の機会に譲ろうと思いますが、IDNとUAに関してとても印象的でした。今回理事会では、2010年以降コミュニティメンバーが中心となって取り組んで策定された、トップレベルドメイン名における異体字ラベル管理要領案を承認しました。これを節目としてIDN、UAの関係者を表彰するレセプションも開催したのですが、異体字を定義するラベル生成ルールの策定の堅調な進捗、UASGの活動の盛り上がりと、神戸会議では明らかに、IDNとUAが主要テーマのひとつと言えます。それはパブリックフォーラムにおいて、IDNやUAに関する質問、発言が非常に多かったことにも現れており、理事会で本件を担当する私の発言機会がことさらに多かった理由でもありました。

3月14日(木)の公開理事会、それに続くラップアップカクテルをもって、神戸会議は終了しました。
ローカルホストとしては参加者の感想が気になるわけですが、こちらはなかなか上々でホッとしています。運営サイドからは、会場、ホテルの準備手配、依頼に対する対応に間違いがなく極めて円滑だったことに関して数多くの賛辞をいただきました。参加者からは、神戸牛、寿司などなど、食事のおいしさを熱く語られましたし、滞在するホテルに始まり、街中での店員だけでなく道行く人々のホスピタリティなども強い印象を残したようです。こういったことはローカルホストが準備をできるものではありません。私自身も滞在した10日間とても快適に過ごしました。こちらは、神戸と神戸の皆さんに深く御礼を申し上げるところです。

メリケンパークの「Be Kobe」モニュメント。Be Kobeのスローガンのひとつには「神戸は、人の中にある。」とあり、まさにその心意気を滞在中に感じました。

また、世界中から神戸に集結したICANN会議参加者の中には、会期の前後に神戸やそれ以外の都市を観光、旅行なさった方もたくさんいらっしゃいます。京都、大阪、姫路、広島が主だったところで、私が知っている中には、執筆時点の4月4日現在もまだ日本にいらっしゃる方もいます。このように日本を深く知り、愛着を深めていただくことも、会議を日本で開催する意義のひとつです。このような旅の様子をFacebookなどで伺うと大変幸せな気分になります。

改めて、ICANN神戸会議に関わったすべての方々に御礼申し上げます。

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